「電子書籍が普及した」の、中身

私は、もう十年以上、紙の本を私用で買っていない。小説もビジネス書も、読むのはぜんぶ電子だ。新しい読み方や道具が出てくれば、まず自分で飛びついて試す。昔からそういうたちで、それは、私がAIにためらいなく飛び込んだのと、同じ性分から来ている。だから「電子書籍が普及した」というニュースを見るたびに、我が意を得たり、と思っていた。ようやく時代が、自分の側に来た、と。ところが、その「普及」の中身を数字で開いてみたら、追いついた先に立っていたのは、自分のような読み手ではなかった。今日は、その話をする。

目次

紙は縮み、電子は伸びた

出版科学研究所によると、2024年の出版市場は、紙と電子を合わせて1兆5,716億円。前年より1.5%小さい。3年続けての微減だ。内訳を見ると、動きははっきりしている。紙は1兆56億円で、前年から5.2%減った。電子は5,660億円で、5.8%増えた。紙が縮み、電子が伸びる。ここまでは、世間で言われている通りだ。「本の売れ方が変わった」という一言は、この二本の矢印を指している。

紙の内訳も見ておく。書籍が5,937億円、雑誌が4,119億円。とくに雑誌の落ち込みが速く、前年から6.8%も減った。かつて駅の売店や書店の平台を埋めていた週刊誌や月刊誌が、スマホのニュースアプリやSNSに読者を明け渡していく。街から本屋が一軒、また一軒と消えていく——そんなニュースの背景には、この紙の数字がある。紙の5.2%減という数字は、平均するとおとなしく見えるが、その中では雑誌が特に速く沈んでいる。

紙は縮み、電子は伸びる(2024年・推定販売金額・億円)10,056前年比-5.2%電子5,660前年比+5.8%出典:全国出版協会・出版科学研究所「2024年出版市場」。紙+電子の合計は1兆5,716億円(前年比1.5%減)。

この二本だけを見れば、話は単純に思える。紙から電子へ、読書の主役が移りつつある——そう読みたくなる。だが、ここで止まらずに、伸びているほうの「電子」を、もう一段だけ割ってみる。すると、世間のイメージとは少し違う景色が出てくる。

「電子書籍」の、九割はマンガだった

電子出版の5,660億円を中身で分けると、電子コミックが5,122億円。実に九割がマンガだ。文字の本——私たちが「電子書籍」と聞いて思い浮かべる、小説やビジネス書のたぐい——は、452億円しかない。電子雑誌にいたっては86億円だ。電子コミックは、コロナ禍前の2019年から五年で倍増し、単体で5,000億円を突破した。この一分野が、電子の伸びのほぼすべてを引っ張っている。

理由は、想像がつく。マンガは、もともと絵で読ませるものだ。スマホの小さな画面でも、縦にスクロールするだけで読める。無料の試し読みで入り口が広く、続きが気になれば一話ずつ買える。アプリの作りが、スマホでの読書と噛み合った。一方、長い文章を画面で追い続けるのは、いまだ紙にかなわないと感じる人が多い。だから文字の本は、紙が減っても、その減った分がまるごと電子へ移ってはくれなかった。紙で離れた読者の一部は、電子にもたどり着かず、そのまま本そのものから遠ざかっていった。伸びるものは伸び、沈むものは沈む。同じ「電子化」でも、ジャンルによって行き先がまるで違う。

「電子出版5,660億円」の中身 ── 9割がマンガ(2024年・億円)電子コミック5,122電子書籍(文字)452電子雑誌86出典:全国出版協会・出版科学研究所「2024年出版市場」。電子コミックは2019年から5年で倍増し5,000億円を突破。

電子で文字の本を読む私のような人間は、この5,660億円のうち、452億円のほうにいる。電子の世界でも、はっきり少数派だ。電車でスマホを覗く人の多くがマンガを読んでいたのも、思い返せば数字の通りだった。自分の読み方こそ時代の主流だと思い込んでいたのは、こちらの勘違いだった。電子書籍派の先頭を走っているつもりで、実は、まるで違う大きな波の、端っこにいただけだ。

ここで、言葉のトリックに気づく。「電子書籍が普及した」という一言は、正しい。だがその中身は、ほとんど「マンガがスマホに移った」という話だ。文字の本の電子化は、世間のイメージほどには進んでいない。「電子書籍」という一語が、九割のマンガと一割の文字の本を、同じ棚に押し込んでいる。言葉は、中身を平らにならしてしまう。便利な総称ほど、内訳を覆い隠す。これは出版に限った話ではない。「音楽配信」も「動画」も、一語でくくった瞬間、その中で何が伸び、何が沈んでいるかが見えなくなる。総称は、会話を速くしてくれる代わりに、思考を粗くする。

「本」と一括りにした瞬間、見えなくなるもの

ここに、AIとデータの付き合い方のヒントがある。AIに「日本の出版市場のトレンドは」と尋ねると、たいてい総額の微減と、紙が減って電子が増えたところまでは、すらすら答えてくれる。だが、その電子の中身が九割マンガで、文字の本は紙も電子も細っている——という肝までは、こちらが「電子の内訳を割って」と指示しないと、なかなか出てこない。AIは、聞かれた粒度で答える。粗く聞けば、粗く返る。どこまで割るかを決めるのは、いつも人間のほうだ。

本を電子で読み、下調べをAIにやらせる。新しいものに、人より先に飛びつくたちだ。そんな私ですら、機械が最初に差し出す「出版市場は微減」という一行を、そのまま結論にはしない。肯定と、鵜呑みは、別のことだ。紙と電子に割り、電子をマンガと文字に割る。二回割って、ようやく「何が起きたか」が姿を現す。マンガという巨大な柱が電子を支え、その陰で、文字の本が静かに痩せている。この構図は、総額の一行には、決して書かれていない。

「本が売れない」も「電子の時代だ」も、どちらも粗すぎる。正確には、マンガがスマホへ移り、文字の本は紙でも電子でも縮んでいる。まったく別の二つの出来事が、「出版」という一語の中で同時に進んでいる。次に「出版不況」という言葉を聞いたら、いちど尋ねてほしい。それは、どの本の話ですか、と。一括りの言葉をほどいたところに、本の未来の、本当の形がある。

アイキャッチ画像はAI生成です。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次