以前在籍していた会社で、差し戻された稟議書の理由を、一度まとめて集めてみたことがある。管理部門にいると、差し戻しの現場を何度も見る。理由は様々に見えたが、並べてみると、大半は一つの種類に収まった。根拠が弱い。金額の裏づけが見積もり一通しかない。代替案を検討した形跡がない。リスクの欄が「特になし」になっている。文章が下手だから戻されたものは、ほとんどなかった。戻されるのは、文章ではなく、材料の欠けだった。
この観察は、AIに稟議書を書かせるときに、そのまま効く。AIは文章を整えるのが得意だ。だが、稟議が戻される理由は文章ではない。だから、AIに「稟議書を書いて」と頼むと、整った文章の、材料の欠けた稟議書が出てくる。今日は、AIに稟議の下書きを任せるときに、何を渡せば使える下書きになり、何は渡しても埋まらないのかを、実務の順に書く。
渡すべきは「材料の束」だ
まず、渡すもの。稟議書を構成する材料は、だいたい決まっている。何を、なぜ、いくらで、いつまでに、誰が、やらなかったらどうなるか、他にどんな選択肢があったか。AIに渡すべきは、この問いへの答えの束だ。文章である必要はない。箇条書きでも、メモの断片でも、見積書の数字の羅列でもいい。AIはこの束を、社内の様式に沿った文章に組み上げる。この組み上げの速さと正確さは、人間が数時間かけていた作業を数分に縮める。
逆に、この束を渡さずに「新しいシステム導入の稟議書を書いて」とだけ頼むと、AIは欠けた材料を、それらしい一般論で埋める。「業務効率化が期待される」「コスト削減につながる」。どれも嘘ではないが、どれもこの会社のこの案件の話ではない。差し戻しの理由を集めた私の目には、それは「材料なし」の稟議書が、きれいな文章の皮をかぶって出てきたものに見える。通らない稟議書が、速く量産されるだけだ。
過去に通った稟議書を、手本として渡す
もう一つ、渡すと効くものがある。その会社で過去に通った稟議書だ。稟議には会社ごとの型があり、決裁者ごとの癖がある。金額の書き方、リスクの温度、結論を先に置くか経緯から入るか。過去に通った数本を手本として渡せば、AIはその型を読み取って、新しい案件を同じ型に流し込む。私が先輩から何年もかけて仕込まれた「型」の習得が、数分で済む。
ただし、手本に選ぶ稟議書は、慎重に選ぶ。通ったが中身の薄かった稟議書を手本にすれば、AIは薄さごと学ぶ。通って、かつ実行後もうまくいった稟議書を選ぶ。型を渡すつもりで、薄さまで渡さないように。
渡しても埋まらない、三つの穴
次に、限界だ。どれだけ材料を渡しても、AIが埋められない穴が三つある。一つ目は、数字の根拠そのものだ。見積もりを取るのは人間で、取った見積もりが妥当かを判断するのも人間だ。AIは渡された数字を整えるが、数字を生むことはできない。自分で数字を作り始めたら、それは根拠ではなく創作だ。二つ目は、「なぜ今か」だ。この投資を今期にやる理由、来期ではだめな理由。これは会社の状況と、決裁者の関心と、外の環境を読んだ判断で、材料の束の外側にある。三つ目は、文脈だ。前回この部署が似た案件で失敗したこと、決裁者がこの分野に慎重なこと。こうした空気は、どの資料にも書かれていない。
この三つは、稟議書の中で最も効く部分でもある。根拠の確かさ、今やる理由、読む相手への配慮。AIは、この三つの手前までを引き受ける。私はAIに下書きを任せることに賛成だが、この三つを埋めるのは、書く人間の仕事として残しておくべきだと思う。そこを渡した瞬間、稟議書は「誰が書いても同じ」文書になり、それは「誰も責任を持っていない」文書と同じ意味になる。
三つの穴のうち、「なぜ今か」は特に、外からは見えにくい。同じ投資でも、今期の業績が良い年に出すのと、悪い年に出すのとでは、通り方が違う。競合が先に動いた直後と、まだ誰も動いていない時期でも違う。決裁者が、前の月に似た案件で痛い目を見ていれば、さらに違う。この「今」の読みは、会社の中の空気を吸っている人間にしか書けない。AIは、渡された材料の中では最適に書くが、渡されなかった空気は読まない。
書く時間が減った分を、材料集めに回す
AIに下書きを任せて浮いた時間を、何に使うか。答えは、差し戻しの理由を集めた私の経験からは、一つしかない。材料集めだ。見積もりをもう一社取る。代替案を実際に検討する。やらなかった場合の影響を数字で置く。文章に使っていた時間を、根拠に回す。そうすると、稟議書の文章はAIが書き、中身は以前より濃くなる。
AIに稟議書を書かせるなら、渡すのは文章ではなく材料だ。そして、どれだけ渡しても埋まらない穴が三つあることを知ったうえで、その穴だけは自分で埋める。差し戻される稟議書の理由は、AIの前も後も、変わらない。根拠が弱い。その一点を自分の手で押さえている限り、下書きを誰が書いたかは、もう問題ではない。
アイキャッチ画像はAI生成です。
次の成長に向けて、いま整えるべきことを。
AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。
まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。
