いろいろな業種の会社を、毎週のように回っていた時期がある。業務ソフトの導入を手伝う仕事で、月曜は小売、火曜は製造、木曜は飲食、という具合だ。ある週、忘れられない体験をした。午前中に訪ねた会社では「人が採れなくて店を開けられない」と嘆かれ、午後に訪ねた別の業種の会社では「人を減らす前提でシステムを入れたい」と言われた。同じ日に、同じ「人」の話で、向きが真逆だった。
「日本は人手不足だ」と一括りにされがちだが、あの日の感覚が、いまも数字の中に見える。厚生労働省の令和8年4月分の統計を業種で割ると、人手不足は一方向に進んでいるのではなく、業種ごとに逆回転している。
求人が増えている業種と、減っている業種
見るのは、企業が新しく出した求人の数が、前の年の同じ月からどれだけ増減したか、という数字だ。令和8年4月、教育・学習支援業は1.5%増、製造業は1.2%増。一方で、卸売業・小売業は11.0%減、宿泊業・飲食サービス業は9.1%減、情報通信業は7.3%減だった。増えている業種と減っている業種が、同じ月の中にはっきり分かれている。
小売や飲食で求人が1割減っている、と聞くと「人手不足が解消した」と読みたくなる。だが現場を回っていた感覚では、逆だ。人が採れないから、採るのを諦めて、店舗の営業時間を削り、セルフレジや配膳機で席を埋め、求人そのものを畳んでいる。足りないから求人が減る、という順番が、この業種では起きている。求人の減少は、人手不足の終わりではなく、人手不足に店が合わせ始めた痕跡だ。製造業で求人がわずかに増えているのは、その逆で、まだ人で埋めようとしている段階だと読める。同じ1%前後の動きでも、増えている側と減っている側では、会社の中で起きていることが正反対だ。
「正社員」だけ見ると、1を割っている
もう一つ、見落とされやすい数字がある。同じ月の有効求人倍率は全体で1.18倍だが、正社員に限ると0.99倍。1を割る。つまり、正社員の仕事を探している人1人に対して、正社員の求人は1件に届かない。人手不足と言われる国で、正社員の椅子は、まだ一人に一つない。企業が増やしている求人の多くは、パートや契約など、正社員以外の形で出ている。
ここに、人手不足の語られ方のねじれがある。企業は「人が足りない」と言い、働く側は「正社員の口がない」と言う。どちらも嘘ではない。同じ市場を、違う椅子で見ているだけだ。足りないのは「人」ではなく、企業が出したい条件と、働く人が求める条件が重なる場所——その重なりの狭さが、倍率の差に出ている。
同じ月の新規求人倍率は2.11倍で、有効求人倍率の1.18倍を大きく上回る。新しく出た求人だけで見れば、求職者1人に2件以上ある。それでも有効では1.18倍に落ち着くのは、出た求人がすぐに埋まらず、あるいは取り下げられ、積み上がらないからだ。出ては消える短期の求人が多い市場では、新規の数字だけが膨らむ。「求人はたくさん出ているのに、働きたい条件の仕事がない」という働く側の実感は、この二つの倍率の差に、かなり正確に映っている。
地域で割っても、向きは揃わない。働く場所で数えた就業地別の倍率は、最も高い福井県で1.73倍、最も低い大阪府で0.95倍。福井では求人が人の1.7倍あり、大阪では人の数を下回る。業種の回転に、土地の回転が掛け合わさって、同じ「人手不足」の中に、まるで違う市場がいくつも同居している。
向きが逆なら、打つ手も逆になる
業種によって向きが逆、正社員と非正社員でも景色が逆。こうなると、「人手不足対策」を一つの処方箋で語ることに無理がある。求人が増えている製造や教育で必要なのは、採用の間口を広げる話だろう。求人が減っている小売や飲食で起きているのは、採用の話というより、少ない人数で回す店の設計の話だ。そして正社員の椅子が足りない側には、条件の重なりを広げる——働き方の選択肢を増やす話が要る。
AIに「うちの業界の人手不足にどう対処すべきか」と聞くなら、この向きを先に渡すべきだ。業種も、雇用形態も言わずに投げれば、返ってくるのは全体1.18倍の世界の、当たり障りのない対策になる。私は分析の下ごしらえをAIに任せることに抵抗はない。この記事の図のような整理は、公表データを渡せば数分で出る。ただ、その数字がどちらを向いているのかを読み取り、自分の会社がどの回転の中にいるかを見定めるのは、人間の側の仕事として残る。
「人手不足」の前に、業種と椅子の名前を
あの日、午前と午後で真逆の話を聞いた私は、帰り道で「人手不足とは何だろう」と考え込んだ。いまなら答えられる。それは一つの現象ではなく、業種ごとに逆回転する複数の現象に、一つの名前を貼っただけのものだ。
次に「人手不足」という言葉を使うときは、その前に二つだけ足してみてほしい。どの業種の話か。どの椅子——正社員か、それ以外か——の話か。その二つを足した瞬間、話は抽象論から、明日の自分の現場の話に変わる。
アイキャッチ画像はAI生成です。
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