「それ、何の数字?」と聞けない会社の話

独立してから、クライアント先の会議に同席することが増えた。ある上場企業の定例会議でのこと。年配の営業部長が、WEBマーケティングの報告をしていた。CVR——コンバージョン率の話だ。

一生懸命なのはわかる。資料も準備してきている。ただ、CVRという言葉を口にしてはいるものの、その数字が何を意味し、何と結びついているのかを理解していないことが、話の運びからにじんでいた。施策の話と数字の因果関係がつながらない。議論がトンチンカンな方向に流れていく。出席者の何人かは気づいている。でも誰も「部長、それ何の数字ですか」とは聞かない。ベテランだから。役職者だから。その場の空気が、質問を許さない。

私も口を挟めなかった。外部の人間がそれを指摘できる空気ではなかった。結局、脱線した議論を自分の中で組み立て直しながら、会議後にひとりで辻褄を合わせた。工数のかかっている会議に、さらに見えない工数が積み上がる。あのとき誰かが「それ、何の数字ですか」と一言聞けていたら、あの会議は半分の時間で済んだ。

CVR——Conversion Rate。WEBマーケティングに限らず、ビジネスの現場にはこうした三文字の指標が蔓延している。CVR、CPA、ROI、KPI、LTV。専門的な響きを持つアルファベットの略語を、人はそのまま飲み込んでしまう。だが立ち止まって、略す前の正式名称に戻してみるだけで景色は変わる。Conversion Rateとは何か。何が何に転換するのか。自社のサービスにおいて、コンバージョンとは具体的にどの行動を指すのか。正式名称の意味を自分の言葉で説明できるかどうか。それだけのことで、あの会議は変わっていた。三文字を三文字のまま受け入れる習慣が、「わかったふり」の入口になる。

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「BSをPLに合わせてくれ」

経営者でありながら、財務の基本的な仕組みを理解していない人は、思いのほか多い。とくに仕訳——取引を借方と貸方に分けて記録する、経理の根幹——の知識がない経営者は珍しくない。PLは読める。売上がいくら、経費がいくら、利益がいくら。数字の流れが直感的だからだ。だがBSになると途端にわからなくなる。資産・負債・純資産という三つの箱が何を意味しているのか、なぜPLの数字とBSの数字が連動するのか。その仕組みを支えている仕訳の概念が欠けていると、BSは意味不明の表にしか見えない。

以前在籍していた会社で、まさにこれを目の当たりにした。大規模な組織再編の渦中で、創業社長が退任することになった。会社にとって地殻変動のような出来事だ。その過程で、社長から言われた。「BSをPLに合わせてくれ」。

なぜ合わないのか。PLは取引が発生した時点で売上や費用を記録する。だがその代金がいつ動くかは、取引先ごとに違う。支払いサイトが30日の先もあれば60日の先もある。PLに売上として載っていても、BSではまだ売掛金として回収を待っている。PLが「いくら稼いだか」を見ているのに対し、BSは「今いくら持っていて、いくら払う義務があるか」を見ている。時間軸が違う。だから数字は一致しない。合わせるという概念自体が、存在しないのだ。

だが社長はまじめに言っている。PLの数字とBSの数字が違う。何かがおかしい——そう感じたのだろう。この構造を一から説明し、理解してもらうのに少なくない時間を要した。

何年もトップに立ちながら、BSを理解する機会がなかった。PLだけで経営判断が回ってしまう環境では、BSに触れる必然がない。そして周囲の誰も——歴代の経理担当者も含めて——それを問題にしなかった。聞かれなかったから、説明しなかった。説明されなかったから、知らないままだった。組織再編という局面が来て初めて、その空白が表に出た。

「知らない」と「聞けない」は違う病だ

数字がわかっていない人には二種類いる。

ひとつは、わかっていないこと自体に気づいていない人。先ほどの社長がこれだ。BSとPLの違いを知らないし、知らないという自覚もない。悪意はない。環境の問題だ。PLだけで事業が回る時代が長ければ、BSに触れる必要がない。触れなければ覚えない。覚えなくても困らなかった。社長交代という激変が来るまでは。

もうひとつは、わかっていないことに薄々気づいているが、聞けない人。冒頭の会議室にいた人たちだ。あの営業部長自身も、おそらくこちら側だろう。わからないと言えば、ベテランの面子が崩れる。会議の流れを止めてしまう。だから黙る。わかったふりを続ける。

どちらも結果は同じだ。数字が道具ではなく呪文になる。意味がわからないまま唱えれば、何かが動いた気がする。報告書に数字が並んでいれば、分析した気がする。この「気がする」が組織に蔓延すると、数字の本来の機能——判断の根拠——が静かに失われていく。

そして、知っている側も黙る。PLだけ見ている社長のもとで、BSを理解している経理担当者が積極的に説明するか。しない。聞かれないものを語れば煙たがられるだけだ。CVRを正確に理解しているマーケティング担当者が、営業部長の誤用をわざわざ正すか。正さない。知っている人が黙り、知らない人が語る。この逆転が、組織の中で数字を呪文に変えていく。

AIは正解を返す。だが理解は届けない

「何の数字か」を聞けない組織に、AIが入ったらどうなるか。端的に言えば、聞かなくても回る世界が完成する。

先ほど、三文字の略語を正式名称に戻して理解することが大事だと書いた。だがAIを使えば、その手間すら要らなくなる。「CVRを改善したい」と入力すれば、AIはランディングページの最適化やA/Bテストの設計まで提案してくれる。Conversion Rateとは何か、自社におけるコンバージョンとは何を指すのか——その問いを経ずに、施策だけが手に入る。理解を迂回して、成果物だけが先に届く。

BSとPLの話も同じだ。「BSをPLに合わせて」とAIに頼めば、それは不可能だと正しく答えるだろう。理由も説明するかもしれない。だがあの社長に本当に必要だったのは、「不可能です」という正解ではなかった。支払いサイトが取引先ごとに異なること、だからPLの数字とBSの数字は別の時間軸で動くこと——その構造を、自分の会社の実態に照らして腑に落ちるまで理解することだった。正解は一瞬で返せる。だが理解には時間がかかる。あの面倒で本質的だった時間を、AIは代替しない。

かつてなら、わからないまま進めればどこかで行き詰まった。会議が空転し、施策が的外れに終わり、誰かが「ちょっと待って」と声を上げた。行き詰まりは面倒だが、理解の入口でもあった。AIはその行き詰まりを消す。理解が追いついていなくても、出力だけは整う。報告書は美しく、グラフは正確で、提案は論理的に見える。「わかったふり」が、本人にすら見破れない精度で完成する。

数字の話をしているようで、これは組織の話だ。「それ、何の数字?」と聞ける空気があるかどうか。三文字の略語を立ち止まって考え直せるかどうか。AIは正解を出す道具としては優秀だ。だが正解と理解は違う。聞ける組織はAIの正解を理解に変換できる。聞けない組織は、正解を正解のまま積み上げて、理解のないまま走り続ける。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

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この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

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