「プロンプトエンジニアリング」という言葉が、どうも好きになれない。
嫌いだ、と言い切ってしまおう。
別に言葉狩りをしたいわけではない。概念として何を指しているかはわかる。AIに対して、より良い結果を引き出すための入力を設計する、ということだ。それ自体を否定しているのではない。
ただ、「プロンプトエンジニアリング」という言葉が世の中に広がった結果、何か大事なものが見えにくくなった気がして、それがずっと引っかかっている。今日はその話を書く。
「うまく聞けば、うまく答える」という幻想
プロンプトという概念が一般に広まったとき、セットで広まった考え方がある。「AIは聞き方次第で全然違う答えを返す。だから聞き方を学べ」というものだ。
これは正しい。正しいのだが、ある種の人たちにとって、この考え方は「AIを使いこなすには特別な技術が必要だ」という思い込みに変換された。プロンプトエンジニアリングという仰々しい名前が、その思い込みに権威を与えた。
結果として何が起きたか。「自分にはまだプロンプトの技術が足りないから、うまく使えない」と感じる人が増えた。AIを使い始める前から、見えない壁を自分で作ってしまう人が増えた。
前回、ChatGPTを導入したけど誰も使っていない問題を書いた。その原因のひとつが、実はここにある。「プロンプト」という言葉が、入門の敷居を上げてしまっているのだ。
AIと話すのは、人と話すのと、そんなに違わない
私がChatGPTを初めて使ったとき、特別なことは何もしなかった。普通に話しかけた。
「この文章、もう少し短くしてくれないか」「この契約書の気になる点を教えてくれ」「明日の会議でこういう話をしたいんだが、どう整理したらいいか」——そういう言葉で話しかけた。かつて職場でやっていたように、部下や同僚に頼む感覚で。
返ってくる答えが期待と違えば、「そうじゃなくて、こういうことが知りたい」と言い直した。これも、人と話すのと同じだ。
プロンプトエンジニアリングの本や講座では、「役割を与えろ」「出力形式を指定しろ」「ステップバイステップで考えさせろ」といったテクニックが並ぶ。それらは確かに有効だ。ただ、それはもう少し先の話だ。最初から覚える必要はない。
まず普通に話しかけてみる。それだけで、たいていのことは動く。
「エンジニアリング」という言葉の罪
私が「プロンプトエンジニアリング」という言葉を嫌う理由の本丸は、「エンジニアリング」という部分だ。
エンジニアリングは設計と技術の言葉だ。再現性があり、体系があり、習得に時間がかかる。その言葉をAIへの話しかけ方に貼り付けることで、「これは技術者の領域だ」という印象が生まれた。
でも実際のところ、AIへの話しかけ方で一番重要なのは技術ではなく、自分が何を求めているかを自分で理解していることだ。これは思考の問題であって、技術の問題ではない。
AIに「いい感じにまとめて」と頼んで期待外れの結果が返ってくるのは、プロンプトが下手だからではない。自分が何を「いい感じ」と思っているか、自分でわかっていないからだ。AIはその曖昧さを、そのまま曖昧に返してくる。鏡だから。
だとすれば、鍛えるべきは「プロンプト力」とやらではなく、自分の思考を言語化する力だ。それは昔からある、普通の能力の話だ。
それでも、言葉は定着してしまった
嫌いだ嫌いだと書いてきたが、「プロンプト」という言葉はもう完全に定着した。私もこのコラムで何度も使うことになるだろう。言葉と戦っても仕方がない。
もっと言うと、私はいま「プロンプト」という言葉を冠したサービスを自分で開発している。これを書きながら、我ながら笑えると思っている。嫌いな言葉を旗印に、せっせとサービスを作っている男がここにいる。
ただ言い訳をさせてもらえるなら、だからこそ作っているとも言える。プロンプトという言葉が持つ「難しそう」という響きを、少しでも解体したくて作っている。嫌いなものに向き合い続けるのは、それが重要だからだ。好きなものより、嫌いなものの方が、人を動かすことがある。
ただ、この言葉を聞くたびに、私は心の中で少し翻訳する。「プロンプトを工夫しろ」と言われたとき、「自分が何を求めているか、もう少し丁寧に考えろ」という意味に受け取る。そうすると、急に話が身近になる。
AIは賢い。でも、賢い相手に何かを頼むとき、一番大事なのは自分の言葉で、自分の求めていることを話せるかどうかだ。それはAIが登場する前から、変わらない真実だ。
次回は、AIと法律文書の話を書く。かつて契約実務に携わっていた立場から、正直なところを書いてみようと思う。
株式会社スポルアップ CFO 加藤
AI・経営・数字まわりのことを、思ったことをそのまま書いています。
