SNSで炎上しやすいトピックというものがある。
政治の話。宗教の話。育児の話。食べ物の好み。あとは、推しの話。推しに関することは、人はなぜか冷静でいられなくなる。好きなアーティストが批判されると、まるで自分が批判されたように感じる。そういう経験をしたことがある人は、少なくないと思う。
AIとクリエイティブの話も、似た場所にある。技術の話のはずなのに、なぜか感情的になる。冷静に議論が始まったはずなのに、気づけばお互いの人格を否定するような言葉が飛び交っている。なぜそうなるのか、ずっと考えていた。
一つ思うのは、クリエイティブというものが「自己表現」と深く結びついているからではないか、ということだ。絵を描く人は、自分の内側にあるものを絵にする。音楽を作る人は、自分にしか出せない音を探している。文章を書く人は、自分の言葉で世界を切り取ろうとしている。その行為は、生産ではなく存在証明に近い。
だからAIが「似たようなもの」を出してきたとき、脅威に感じるのは自然だ。自分の存在証明が、道具に模倣される。その感覚は、職業的な危機感より先に、もっと根っこの部分を刺激する。
もう一つ。クリエイティブが好きな人——オーディエンスの側——も、感情的になりやすい。好きな作品は、自分の人生の一部になっている。あの曲を聴いていたあの時期、あのゲームをやり込んだあの夏、あのマンガを読んで泣いたあの夜。作品への愛着は、記憶への愛着と一体になっている。その作品の「後継者」がAIだと言われると、記憶まで侵食されるような感覚があるのかもしれない。
感情的になる理由は、わかる。わかるのだが。
感情的な議論は、たいてい何も変えない。声が大きい方が正しいわけでもない。傷ついている人が正しいわけでもない。議論の熱量と、議論の質は、別の話だ。
AIとクリエイティブをめぐる議論が、もう少し冷静になれるとしたら——それは「この話は感情の話だ」と自覚することからだと思っている。感情を否定するのではなく、感情であることを認めた上で、別の話として論じる。その順番を間違えると、議論はいつまでも同じ場所をぐるぐる回る。
ちなみに私が一番感情的になったのは、好きなシリーズの続編を見た翌朝だった。あれは冷静に論じられる状態ではなかった。AIは関係なかった。
株式会社スポルアップ CFO 加藤
AI・経営・数字まわりのことを、思ったことをそのまま書いています。
次の成長に向けて、いま整えるべきことを。
AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。
まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。
