採用計画を毎年更新する仕事に関わっていた頃、年度初めの会議で必ず出る質問があった。「去年と比べて、採りやすくなったのか、なりにくくなったのか」。答えは一つの数字では出ない。だから私は、有効求人倍率の年平均を五年分だけ並べた紙を持ち込むようにしていた。一年分では景気の気分しか分からない。五年分あると、自分たちがいま、坂のどこにいるかが見える。
その五年分を、いま並べ直してみる。2020年から令和8年の春まで。数字は一周して、ほぼ元の場所に戻ってきた。だが、戻ってきた場所は、同じ場所ではない。
上がって、下がって、1.18に戻る
厚生労働省の年平均で、コロナ禍の2020年は1.18倍。そこから回復に向かい、2022年に1.28倍、2023年に1.31倍まで戻した。ところがここが頂点で、2024年は1.25倍、2025年は1.22倍と、二年続けて下がった。そして令和8年4月の月次は1.18倍。五年かけて上がり、五年目の終わりに、出発点の2020年と同じ値に戻っている。
グラフにすると、きれいな山だ。2023年を頂点に、左右がほぼ対称に見える。採用計画の会議でこの紙を出せば、「五年前の状況に戻った」と言いたくなる。だが、私はそう言わない。数字が同じでも、山の左側と右側では、会社の中で起きていることが違う。
左の1.18と、右の1.18
2020年の1.18は、1.60台から急に落ちた直後の数字だった。求人が消えたのは、景気ではなく感染症だった。企業は人が要らなくなったのではなく、先が読めずに採用を止めた。だから翌年から、止めていた採用が戻るにつれて、倍率は自然に回復した。左側の1.18は、止めていたものが動き出す手前の、仮の値だった。
右側の1.18は違う。2023年の頂点から、二年かけてじわじわ下がってきた。急落ではなく、緩やかな低下だ。しかも同じ令和8年4月、正社員に限った倍率は0.99倍で、1を割っている。新しく出た求人だけで見た新規求人倍率は2.11倍と高いのに、有効では1.18倍に落ち着く。求人は出ては消え、正社員の椅子は人の数に届かず、全体の倍率は静かに下がっている。止めていたものが戻る途中の1.18と、構造的に人の数が減っていく中で、企業が出す求人の形が変わりながら落ち着いた1.18。値は同じで、中身はまるで別だ。
採用の現場で、何が変わったか
五年分を並べた紙を持ち込んでいた頃の私なら、この右側の1.18をどう読んだだろう。「五年前と同じだから、採用のやり方も五年前に戻せばいい」とは読まない。左側の1.18では、待てば求人が戻り、競争が激しくなる前に採るのが正解だった。右側の1.18では、待っても働き手の母数は増えない。競争が緩んでいるように見えるのは、企業が正社員の求人を出し渋り、短期の求人に切り替えているからで、働きたい人が増えたからではない。つまり、いまの「採りやすさ」は、条件を下げた求人が増えた結果の見かけ上の緩みで、良い人材を正社員で採る難しさは、五年前より増している。
この読みは、一年分の数字からは絶対に出てこない。五年分を並べ、頂点の位置を確かめ、左右の傾きの違いを見て、初めて出てくる。時系列で見るということは、値を比べることではなく、同じ値に至った経路を比べることだ。
右側の1.18の中身を、もう少しだけ割っておく。同じ月の新規求人倍率は2.11倍で、新しく出た求人だけ見れば、求職者1人に2件以上ある。それが有効では1.18倍に落ち着く。出た求人がすぐ埋まらず、積み上がらず、取り下げられている。採用の現場で言えば、「求人を出しても応募が来ないから、条件を変えて出し直す」を繰り返している会社が多い、ということだ。出し直しのたびに新規の数字は膨らみ、有効の数字は動かない。五年前の左側の1.18には、この回転の速さはなかった。止めていた求人を、もう一度出し始めただけだった。数字は同じでも、その数字が生まれる現場の動き方が、まるで違う。
五年分を並べる作業は、AIに渡せば一瞬で終わる。だが、どの五年を選ぶか、その五年の中でどの年が頂点か、頂点の左右で何が違うかを言葉にするのは、数字を現場で使ってきた人間の仕事だ。並べる速さと、読む深さは、別の能力だ。
同じ数字に戻っても、同じ判断には戻らない
AIにこの五年分を渡せば、山のグラフは一瞬で返ってくる。「2023年をピークに低下傾向」という要約も正確に出る。だが、左右の1.18が別物だという読みは、正社員の倍率や新規求人の数字を横に置き、その年に企業の中で何が起きていたかを知っている人間が加えるものだ。渡す数字を選び、経路の違いを言葉にする。そこは、グラフを描く速さとは別の仕事として残る。
五年で一周した倍率は、元の場所に戻っていない。同じ1.18という看板の下に、別の市場が立っている。採用計画の会議で五年分の紙を出すなら、値が戻ったことではなく、戻ってきた道が違うことを、一言添えてほしい。その一言で、今年の判断は、五年前の判断の焼き直しではなくなる。
アイキャッチ画像はAI生成です。
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