「AI臭い」という言葉が気になる

「AI臭い」という言葉をよく聞くようになった。

文章に対して使われることが多い。画像に対しても使われる。音楽ではまだ少ないが、そのうち使われるようになるだろう。「あれはAIが作ったっぽい」「なんかAI臭い」——そういう言い方だ。

この言葉が気になっている。否定したいわけではない。その感覚がどこから来るのかを、もう少し丁寧に考えてみたい。


目次

「AI臭い」の正体

文章における「AI臭さ」とは何か。経験的に言うと、こういう特徴が積み重なったときに感じる。

結論が丸い。反論を想定して予防線を張る。断言を避ける。構成が整いすぎている。見出しが均等に並ぶ。語彙が広いが、癖がない。読み終えて何も引っかからない。

これらは、悪い文章の特徴ではない。むしろ「良い文章の条件」として教わることが多い。論理的で、読みやすく、バランスが取れている。ただ、それが全部揃いすぎると、人間の匂いが消える。

人間が書く文章には、余計なものが入る。脱線がある。感情が漏れる。断言しすぎる箇所がある。構成が崩れる。それらが「その人らしさ」になる。AIはその余計なものを、最適化の過程で削ぎ落とす。結果として、整いすぎた文章が残る。


「臭い」は検知器として機能している

「AI臭い」という感覚は、人間の認知が持つ検知器として機能していると思う。

人間は長い時間をかけて、他者の表現から「その人の存在」を読み取る能力を培ってきた。文章を読むとき、私たちは内容だけでなく、書き手の体温を探している。視線の動き、思考の癖、感情の揺れ——それらが文章の中に痕跡として残る。その痕跡がないとき、「何かが違う」という感覚が生まれる。

この検知器は、精度が上がっていくだろう。AIの文章が洗練されるにつれて、人間の検知器も鋭くなる。いたちごっこだ。

ただ、ここで一つ問いを立てたい。「AI臭い」と感じることは、そのコンテンツを否定する根拠になるのか。


「臭い」と「悪い」は別の話だ

「AI臭い文章だ」と「悪い文章だ」は、同じ意味ではない。

整いすぎた文章が読みにくいかというと、そんなことはない。論旨が明確で、読みやすく、必要な情報が揃っている文章は、それだけで価値がある。「体温がない」という欠点と「読みやすい」という長所は、同時に存在できる。

逆に、人間が書いた文章が全て「AI臭くない」かというと、そうでもない。大量の報告書を書き続けた官僚の文章は、AIより均質になることがある。マニュアル通りに書かれた営業メールは、AIが書いたものと見分けがつかないこともある。「人間が書いた」ことは、品質の保証にはならない。

「AI臭い」という感覚は、検知器として有効だ。でも判決として使うには、根拠が弱い。

次回は、ボーカロイドについて書く。私がどう出会い、何を学んだか。


株式会社スポルアップ CFO 加藤
AI・経営・数字まわりのことを、思ったことをそのまま書いています。

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この記事を書いた人

事業内容:EC支援・マーケティング支援・データ分析
代表は大手ECプラットフォームにおける実務経験を有し、役員は市場調査会社にてリサーチ業務に従事。実務とデータ分析の両面から企業の成長支援を行っています。

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