AIが作った曲は、音楽じゃないのか

「あれは音楽じゃない」

AIが生成した楽曲に対して、そう言う人がいる。気持ちはわかる。でも私はその言葉を聞くたびに、少し立ち止まって考えてしまう。「音楽じゃない」とは、どういう意味か。何をもって音楽と呼ぶのか。

私はCFOだ。バックオフィスの人間だ。そういう人間がクリエイティブについて語るのは場違いに聞こえるかもしれない。ただ前回書いたように、今はAIを使ったコンテンツ生成のサービスを自分で作っている。作る側に足を踏み入れた以上、この問いから逃げるわけにはいかない。今回から、AIとクリエイティブについて書いていく。ビジネスの人間が、ビジネスの目線で。


目次

「音楽」の定義から始める

音楽とは何か。音の並びか。感情の表現か。人間の意図か。

この問いは、実はAIが登場するずっと前からあった。ジョン・ケージが1952年に発表した「4分33秒」という作品がある。演奏者が楽器の前に座り、4分33秒間、何も演奏しない。会場の環境音が「音楽」として提示される。これは音楽か。当時も議論になった。今でも議論になる。

電子音楽が登場したときも同じ議論があった。シンセサイザーが登場したときも。打ち込みのドラムが登場したときも。「あれは本物の音楽ではない」という声は、新しい技術が音楽に入り込むたびに、繰り返し出てきた。

そしてその度に、音楽は拡張してきた。


問題は「誰が作ったか」ではなく「何が鳴っているか」だ

AIが生成した楽曲を聴いたとき、そこに感情が動いたとする。それは音楽ではないのか。

私はそうは思わない。音楽の本質は、鳴っている音と、それを受け取る人間の間にある。作り手が人間かAIかは、その本質に直接関係しない。

もちろん、作り手の意図や背景を知ることで、音楽の聴こえ方が変わることはある。あの曲はあの状況で書かれた、という文脈が感動を深めることはある。でもそれは付加情報であって、音楽そのものではない。

「誰が作ったか」に価値の根拠を置くと、音楽はコンテンツではなく、作り手の人格証明になる。それは音楽の話ではなく、芸能の話だ。


良いものは良い。悪いものは悪い

AIが生成した楽曲にも、質の良いものと悪いものがある。これは人間が作った楽曲と全く同じだ。

商業主義の中で量産された人間の楽曲が、どれだけ空虚なものを生んできたか。タイアップのために作られ、プロモーションのために流され、消費されて忘れられていった楽曲を、私たちはどれだけ聴いてきたか。それらは「人間が作った」という理由だけで、AIの楽曲より優れているのか。

私はそう思わない。基準は一つでいい。良いか、悪いか。それだけだ。

作り手がAIであることは、その判断の材料にはならない。少なくとも私にとっては。


ただし、これは始まりに過ぎない

AIと音楽の話は、「良いか悪いか」だけでは終わらない。著作権の問題がある。クリエイターの生存権の問題がある。産業構造の変化がある。感情論の裏に隠れた経済的利害がある。

それらについては、これから一つひとつ書いていく。今日は入口だ。

ただ入口として、これだけは言っておきたい。「AIが作った曲は音楽じゃない」という言葉は、論理ではなく感情だ。感情を否定するつもりはない。でも感情を論拠にして議論をしても、どこにも辿り着かない。

次回は、その感情の中でも最も声が大きい——クリエイターの怒り——について書く。


株式会社スポルアップ CFO 加藤
AI・経営・数字まわりのことを、思ったことをそのまま書いています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

事業内容:EC支援・マーケティング支援・データ分析
代表は大手ECプラットフォームにおける実務経験を有し、役員は市場調査会社にてリサーチ業務に従事。実務とデータ分析の両面から企業の成長支援を行っています。

目次