携帯電話の着メロを、手で打ち込んでいた時代がある。2000年代の初め頃だ。当時の携帯には簡易的な作曲機能がついていて、音階と音の長さを一音ずつ入力すれば、好きな曲のメロディを着信音にできた。私はバンドをやっていた。楽譜は読めるし、耳コピもできる。この機能を知ったとき、真っ先に打ち込んだのはキング・クリムゾンの「21世紀のスキッツォイドマン」だった。原題は”21st Century Schizoid Man”。かつては「21世紀の精神○○者」という邦題で知られていたが、今はその訳が使えない時代になった。著作権の話を書こうとしているのに、まず曲名のコンプライアンスに引っかかる。生きづらい世の中だ。それはさておき、打ち込んだのはサビではなく、中間部のソロ前、全楽器がユニゾンで叩きつけるあのキメのフレーズだ。変拍子の折り重なる複雑なパッセージを、携帯の小さなボタンで一音ずつ入力していく。完成して再生ボタンを押したとき、小さなスピーカーからあのフレーズが鳴った。音はチープだ。だがフレーズは間違いなくクリムゾンだった。電車の中で着信があっても、周囲の人間には何の曲かわからないだろう。わかる人がいたら、それはそれで嬉しい。そういう楽しみ方だった。
著作権のことなど、一秒も考えなかった。
着メロは誰のものだったか
着メロの手打ちは、言ってみれば個人的な楽譜の書き写しだ。好きな曲のフレーズを自分の端末に入力し、自分だけが聴く。著作権法でいう「私的使用のための複製」に該当する可能性が高い。ギターのフレーズを練習するためにノートに書き写すのと、構造は同じだ。少なくとも、自分の携帯で鳴らして楽しむ限り、誰かの権利を侵害しているという感覚はなかった。実際、問題にもならなかった。
風景が変わったのは、着メロが商売になったときだ。携帯キャリアや配信業者がサービスを始め、月額料金を払えばプロが打ち込んだ精度の高い着メロをダウンロードできるようになった。手打ちの手間が消え、和音にも対応し、音質も格段に上がった。J-POPの最新曲が発売日に着メロで手に入る。便利になった。私のように変拍子のプログレを一音ずつ打ち込む酔狂な人間は少数派で、大半のユーザーはダウンロードに移行した。着メロ配信は数百億円規模の巨大な市場になった。だがここで、あのJASRAC——日本音楽著作権協会——が動く。着メロの配信は楽曲の複製にあたる。著作権者への使用料が発生する。当然の主張だ。配信業者はJASRACとの契約を結び、使用料を支払う仕組みが整えられた。
さらに着うた、そして着うたフルの時代が来る。着メロがメロディだけの再現だったのに対し、着うたは原曲の音源そのものを切り出して着信音にする。サビの一番盛り上がる部分を数十秒切り出し、電話が鳴るたびにそのワンフレーズが流れる。技術的には原曲そのものだ。ここまで来ると、作曲者の権利だけでなく、歌手やミュージシャンの実演家としての権利、レコード会社の原盤権——いわゆる著作隣接権——も絡んでくる。誰に許諾を得ればいいのか。使用料は誰にいくら払えばいいのか。権利関係は一気に複雑化した。
振り返って考える。私が携帯のボタンで打ち込んでいたクリムゾンのフレーズと、配信業者が商品として売っていた着メロの間に、技術的な違いはあっても、著作権上の本質的な差があったのだろうか。私は一銭も払っていない。配信業者はJASRACに使用料を払っている。違いは、ビジネスになったかどうかだけだ。個人の楽しみが商業の領域に入った瞬間、著作権は急に可視化された。だが著作権は最初からそこにあった。見えていなかっただけだ。
AIが書いた文章は、誰のものか
着メロ時代の「見えない著作権」は、AIの時代にそのまま重なる。ガイドラインが著作権リスクとして警告しているのは、大きく三つの場面だ。
ひとつめは、AIの出力が既存の著作物に似てしまう場合。ChatGPTに「キャッチコピーを考えて」と頼んだら、どこかで見たことのあるフレーズが返ってきた。画像生成AIに「有名な絵画風のイラスト」を頼んだら、特定の画家の作風に酷似した画像が出てきた。AIは膨大なテキストや画像を学習している。その中に含まれていた表現が、形を変えて——あるいはほとんどそのまま——出力されることがある。使う側に悪意がなくても、結果的に他者の著作物に似てしまえば、侵害のリスクは発生する。着メロに例えれば、原曲そっくりのメロディが自動生成されるようなものだ。
ふたつめは、入力の問題。自分が書いた文章をAIに校正してもらうなら問題は少ない。だが他人の著作物——記事、論文、書籍の一部——をそのままプロンプトに貼り付けて「要約して」「リライトして」と指示したらどうか。それは著作物の複製にあたるのか。着メロの手打ちが私的複製だとしても、AIというクラウドサービスに送信する行為は「私的」の範囲を超えるのではないか。答えはまだ定まっていない。だが問いは確実に存在している。
みっつめは、AIが生成したものに著作権があるのかという根本的な問題だ。日本の著作権法は「思想又は感情を創作的に表現したもの」を著作物と定義している。AIには思想も感情もない。人間が詳細な指示を与え、出力を選別し、加工を加えた場合には人間の創作性が認められる余地がある。だが「AIに丸投げして出てきたものをそのまま使う」場合、そこに創作性があるとは言いにくい。著作権が発生しない可能性がある。使う側にとって、これは良いニュースばかりではない。著作権がないということは、他人に無断でコピーされても法的に文句が言えないということだ。AIで作った営業資料のキャッチコピーを競合他社がそのまま使っても、著作権では保護されない。自社の成果物だと思っていたものが、法的には誰のものでもない。そういう事態が起こりうる。
着メロの時代、著作権の境界線は曖昧だった。AIの時代も同じだ。技術が新しくなるたびに「これは許されるのか」という問いが生まれる。だが問いの構造は毎回同じだ。使う側が権利の存在に気づかないまま使い始め、規模が大きくなったところで権利者が声を上げ、事後的にルールが整備される。着メロがそうだった。音楽業界は前回のコラムで触れた通り、P2Pとの闘いも含めて十年以上をかけてようやく着地点を見つけた。AIをめぐる著作権の議論も今、その過程の真ん中にいる。決着がつくまでに何年かかるかわからない。だが決着を待つ間も、AIは使われ続ける。待っている間に何を知り、何をしておくべきかが問題だ。
図書館のコピー機は、何を許しているか
著作権と聞くと身構える人がいる。法律の話だ、専門家に任せておけばいい、と。だが実は、誰もが日常的にその境界線に触れている。もっとも身近な例が図書館のコピー機だ。図書館に行ったことがある人なら、あのコピー機の前に立ったことがあるだろう。調べ物をして、必要なページをコピーする。ごく当たり前の行為に見える。だがあのコピー機の横に、注意書きが貼ってあるのを読んだことがあるだろうか。
図書館でのコピーには、著作権法第31条に基づくルールがある。まず、コピーできるのは著作物の一部分に限られる。一冊丸ごとのコピーは許されない。実務上は「半分まで」が目安とされている。次に、コピーの目的は調査研究に限る。そして一人につき一部だけ。これらの条件を満たして初めて、図書館でのコピーは合法的に行える。
ほとんどの人は、このルールを知らない。私も管理部門の実務に携わるまで意識したことがなかった。学生の頃、レポートを書くために図書館で本のページをコピーした。必要なページを必要なだけ。一冊丸ごとコピーしたこともあったかもしれない。それが著作権法に触れる可能性があるなど、考えもしなかった。だが「それだけのこと」にも、著作権法上のルールはきちんと存在している。知らなかっただけだ。着メロの手打ちと同じだ。ルールを知らないまま、ルールの中で暮らしていた。知らなくても日常は回る。だが知らないことと、ルールが存在しないことは違う。
図書館のコピーに「半分まで」のルールがあるように、著作権には「引用」というルールがある。著作権法第32条だ。他人の著作物を、自分の著作物の中で使うことができる。ただし条件がある。自分の文章が「主」であり、引用する部分が「従」であること。引用はあくまで補足や根拠であり、自分の論述が中心でなければならない。出典を明示すること——どこから引用したかを読者にわかるようにすること。そして引用する著作物がすでに公表されていること。
この条件は、AIの利用場面にそのまま当てはまる。自分の企画書の中で、参考資料として他者の文章の一部を引用する——これは「主従関係」が成り立っている。自分の考察があり、その根拠として他者の文章を添える。主は自分の文章だ。だが他人の文章をAIに丸ごと投入して「リライトして」と指示する行為には、「主」がない。自分の思考がどこにもない。引用ではなく、ただの複製だ。図書館で一冊丸ごとコピーしているのと構造は同じだ。半分どころか、全部をコピーして、しかも体裁だけ変えて自分の文章のふりをする。図書館の注意書きを読んだことがある人なら、それがルール違反だと直感でわかるはずだ。
ガイドラインが言っているのは、著作権を守れという抽象的な訓示ではない。図書館のコピー機の横に貼ってある注意書き程度の知識を、AIを使う前に持っておけ、ということだ。着メロの時代には誰も教えてくれなかった。今回は先に教えてくれている。知らなくても今のところ罰せられない。だが知っている人間と知らない人間の差は、問題が起きたときに顕在化する。私がキング・クリムゾンを着メロに打ち込んでいた頃、たまたま何も起きなかっただけだ。次も同じ幸運が続くとは限らない。
次回は、AIサービスの選び方を取り上げる。SaaSという言葉がバズワードだった時代、「クラウドに乗せれば解決する」と信じた企業がどうなったか。あの教訓は、AIツールの選定にそのまま当てはまる。
次の成長に向けて、いま整えるべきことを。
AI、EC、マーケティング、採用、数値管理。
構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。
まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。
