「通る稟議書」は、もう書ける

稟議書の書き方を、先輩から仕込まれたことがある。以前在籍していた会社でのことだ。金額の根拠は三つの見積もりで挟む。リスクの欄には、正直に書きすぎない程度に正直に書く。結論を先に、経緯は短く、決裁者が気にする論点は先回りして潰しておく——。要領を得ない私の下書きは何度も突き返され、そのうちに気づいた。稟議書には「型」がある。そして型を覚えてからの稟議は、面白いように通った。書いていたのは事業の中身ではなく、通るための文章だった。

あの技術は、もうAIのものだ。過去に通った稟議書を何本か手本に渡せば、いまのAIは「通る稟議書」を書いてしまう。金額の根拠を整え、リスク欄の温度を調整し、決裁者好みの論点の順番まで真似る。私が何年もかけて先輩から仕込まれた型は、数分で再現される。書く側の苦労が消えるのは、朗報だ。だが、この話には続きがある。書く負担が消えた先で、稟議という仕組みそのものが、静かに試され始める。

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稟議とは、書類ではなく関門のことだ

そもそも稟議とは何か。お金を使う、契約を結ぶ、人を動かす——会社の資源を動かす前に、複数の目で確かめて、組織として決めた形にする仕組みだ。書類はその道具にすぎない。本体は、途中に並ぶ関門のほうだ。課長が読み、部長が読み、担当役員が読む。それぞれの位置から「これは筋が通っているか」を確かめる。関門が機能している限り、多少下手な稟議書でも、事業の中身は吟味される。

ところが実際の稟議は、しばしば逆立ちする。中身より書類の出来が問われ、型を外すと差し戻され、型に嵌まれば深く読まれずに判が並ぶ。私が仕込まれた「通る稟議書」の技術は、まさにこの逆立ちの産物だった。関門を通すための技術であって、事業を良くする技術ではなかった。

書くのが速くなると、読むほうが追い込まれる

AIが稟議書を書けるようになって起きるのは、この逆立ちの加速だ。型どおりの、粗の見えない稟議書が、これまでの何倍もの速さで量産される。すると、読む側はどうなるか。処理が追いつかない。そこで読む側もAIに頼る。要約させ、論点を抽出させ、過去の類似案件と比べさせる。ここまでは健全な道具の使い方だ。だが、その先に落とし穴がある。AIが書いた稟議書を、AIの要約だけで読んだことにして、判を押す。書く側にも読む側にも人間の目が通らないまま、書類だけが滑らかに流れていく。稟議は回っているのに、誰も確かめていない。関門の空洞化だ。

怖いのは、この空洞化が外からは見えないことだ。書類は整い、決裁は期日どおりに下り、記録も完璧に残る。形式だけ見れば、むしろ以前より立派になる。だが「複数の目で確かめる」という稟議の本体は、抜け落ちている。問題が起きてから振り返ると、全員が判を押していて、誰も読んでいなかった——そういう案件が、これから確実に増える。

関門を減らして、残った関門で本当に読む

では、どうするか。AIを稟議から締め出すのは筋が悪い。書く苦労の大半は、もともと事業の中身と関係のない苦労だった。あれが消えるのは前進だ。私はAIに書かせることには賛成で、そのうえで、読む側の設計を変えるべきだと思っている。方向は二つある。

ひとつは、関門の数を減らすことだ。判子が五つ並ぶ稟議の、五人全員が深く読んでいた会社を、私は見たことがない。人数の多さは安心の演出であって、吟味の厚さではない。AIが下書きも要約も引き受けてくれる時代なら、金額や重要度で線を引いて、小さな案件は関門を一つか二つまで削る。そのかわり、残った関門では、要約ではなく原本を人間が読む。どの案件を深く読むかを選ぶ判断にこそ、AIの類似案件検索や異常検知を使えばいい。全部を薄く確かめる稟議から、選んだものを厚く確かめる稟議へ。もうひとつは、押した判の意味を明文化することだ。この判は何を確かめた印なのか。金額の妥当性か、法務リスクか、事業の筋か。確かめた中身が言えない判子は、AI時代には要らない判子だ。試しに、直近の稟議書を一枚開いて、並んだ判子のそれぞれに「この人は何を確かめたのか」を書き込んでみるといい。埋まらない欄があれば、そこが空洞の入り口だ。

型は道具に譲って、目は手放さない

「通る稟議書」を書く技術は、私の世代の管理部門が誇ってきた芸のひとつだった。その芸がAIに移るのは、少し寂しくもあるが、惜しむ話ではない。あれは本来、なくてよかった苦労だ。惜しむべきはただひとつ、書類の向こうにある事業の中身を、誰かが自分の目で確かめるという一点だけだ。

もしあなたの会社でAIが稟議書を書き始めているなら、確かめてみてほしい。判を押す人は、まだ読んでいるか。読むに値する案件に、読む時間は確保されているか。書くほうはいくら速くなってもいい。読むほうの一箇所だけは、人間の仕事として残す。稟議という古い仕組みをAI時代に持ち込む条件は、それだけだ。

アイキャッチ画像はAI生成です。

次の成長に向けて、いま整えるべきことを。

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構想だけで終わらせず、実行できる体制へ。

まずは課題を整理してみるところから、スポルアップが実務目線で伴走します。

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この記事を書いた人

法務・財務・内部統制・情報セキュリティの実務を経て、AI時代の企業支援へ。バックオフィスの現場で見てきたことを、そのまま書いています。

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