第1話 仁志敏久を作った礎【小学生・中学生編】

新しい学びコンテンツ【スポルアップ インタビュー】がスタートしました。

記念すべき第一回目のゲストは、読売ジャイアンツと横浜ベイスターズで活躍された仁志敏久さんです。小学校時代からU12監督まで、どんな練習を行い、どんな学びをしてきたのか伺ってきました。

選手はもちろん、監督・コーチの指導者の方々、そして親の方まで、とても参考になる内容ですので、ぜひ熟読いただければと思います。

毎週水曜日更新、全7話でお送りいたします。

第1話は「小学生・中学生編」です。
インタビュー役は、スポルアップを運営している株式会社スポリティー代表取締役の山本慎二郎が務めます。

また、当記事の最後に仁志さんのサイン色紙・サインボールプレゼントキャンペーンを実施しております。こちらのご応募もお待ちしております。

 

小学生編

山本
早速ですが仁志さん。
小学生の頃はどんな練習をされてましたか?

仁志
小学校4年生から野球を始めて、5年生くらいから試合に出始めました。
僕が野球やり始めてから、父親は楽しみができたように付きっ切りで練習をやるようになりました。

 

父と一緒に作り上げた基礎力

山本
具体的にはどんなことを?

仁志
毎日朝走ったり、夜は素振りをしたり、腕立て伏せ、腹筋、握力強化など。
朝は走るだけなんですけど、学校から帰ってくるとその後父親が仕事から帰って来て練習が始まります。当時、あまり残業とかなかったみたいで(笑)。
それで家のすぐ前の小学校の校庭に連れて行かれて、ピッチングをやったり、ティーバッティングをやったりという練習でした。
それから帰ってきてご飯を食べて、その後素振りと、腕立て伏せ、握力強化という毎日です。

 

山本
相当ハードな練習ですね。。。

仁志
まあ、やらないといけない状況でしたから。
多分黙っててもやらなきゃいけないんでしょうけどね。

山本
ちなみに素振りってどのぐらいされていたんですか?

仁志
素振りは基本的には200回。
父親が酒飲みながら、つまみみたいにして見てるから、なんかやめるにやめられない時もありました。

山本
つまみ、って(笑)
というか毎日素振りを200本ですか?

仁志
200回は最低それだけということです。
やめるタイミングを失うと多いときは500くらいになることもありましたかね。

山本
小学生で毎日その量はすごいですね。
それって200でやめようと思った時には「おい、なんでやめるんだ」みたいな感じで言われるみたいな感じなんですか?

仁志
そういうわけじゃないんですけどね、なんとなくずっと見てるからやめられないとか、時にはやめようと思ったらつかつかと教えに来たりということもありました。
なんとなく言いたくなくなる時があるんでしょうね。

山本
酔っ払っていらっしゃいますね。

仁志
そうですね。

 

今でも意識する、初めて教わったこと

山本
ちなみに家から離れて少年野球とか、チームの練習はどんな練習でした?

仁志
少年野球の指導者の方が熱心で、野球に関してはよく教えてくれてたと思います。
ボールの回転に関してはこだわっていたようです。
綺麗に出来るだけ縦の回転になるように赤いマジックでボールの縫い目に色を付けて回転がわかるようにしていました。

山本
となると、小学校の時からボール回転はすごく意識してました?

仁志
そうですね。
ただあまりそればかり意識しすぎると回転を縦にしようとしすぎて極端なオーバースローになってしまうこともあるので、ある程度綺麗でいいと思いますけどね。
やっぱり最初に教わったことってその後も身についていく場合がありますからね。投げ方とか意識することとか。
いまだにその意識は少し残ってます。悪いことではないですけど。

 

山本
バッティング面ではどうでした?

仁志
トスバッティングやるときに、肩にバットを乗せながら打つ癖があるんですけど、トスバッティングというのは、バットコントロールしながら、打球も思ったところに落としてワンバウンドで返すのが通常ですよね。
バットを立てて構えると何となくコントロールが難しく感じるんですが、実はこの感覚は小学校のときの監督の打ち方なんです。トスバッティングをやって見せてくれるんですが、その監督の打ち方が肩にバットを乗せて打っていたので、それを見てそういうもんなのだと思ってずっとやってました。なので、未だにそうやって打ってます。

山本
見て覚えた、という感じですか?

仁志
そうとも言えます。

 

中学生編

山本
中学生の時で思い出に残ってる、こういう練習したなっていうのはありますか?

仁志
中学校の野球部だったので軟式でした。顧問の先生はベテランの先生で過去の実績もあった方でした。特別変わった練習をした記憶はありませんが、熱心な先生で、すごい厳しい先生だった記憶があります。

 

意識を変えた、父の目と一言

山本
小学校の時には自分で、お父さんの前で素振りをやってたわけじゃないですか。自主練とかそういうのとかは?

仁志
中学校に入ってから父親は何も言わなくなりました。
中学校2年生の時、試合に出ていたこともあって、しかもちょっと自分がうまく出来ていたので、調子に乗っている時期がありました。今思えばそんなに上手くもないし、ちやほやされるほどではなかったと思いますけど。

山本
その調子に乗っていた仁志さんに、何かスイッチが入るような出来事があったんですか?

 

仁志
父親の目と、ちょっとした一言ですかね。
調子に乗ってたある日、朝練に行く時に一言言われたことがあったんです。
朝練始まってるのに、平気で遅れて行ったりしてたので。
父親は会社に行く時に中学校の横を通っていつも練習風景を見ていたんでしょうね。
家を出る時に「練習もう始まってるんじゃないのか」って。
父親がどういう思いで言ったのかはわからないですけど、服装なんかもちょっと乱れ始めていたのでそのうち言おうと思っていたんでしょうね。
その時に思いました。「ちょっと俺調子に乗ってんなぁ」って。

山本
中2という時期で、よくそこまで思えましたね。

仁志
何となくですけどね。そこで少し考え方を改めました。
中学校の練習は日が長いときは結構遅くまでやってました。
ただ、冬場は暗くなるのが早いですから帰ってくるの早かったので、家に帰ってから走りに行ったり、友達と待ち合わせて、ちょっとおしゃべりしながらですけど坂道をダッシュしたりということもしてました。

山本
なるほど、お父さんの一言があって考えが改まってから、自主的に走ったりするようにもなったんですね。

 

小学生・中学生編はここまでです。
お話しを聞かせていただき、やはりお父さんの存在はかなり大きいと感じました。そして、小学生・中学生の記憶を今でも鮮明に覚えている仁志さんを見ていると、野球人生において、この時期はとても大事な1ページだと思いました。
次週は、名門高校で仁志さんはどんな体験をしたのか!?【常総学院編】をお楽しみに!

 

プロフィール

仁志敏久
1971年10月4日 茨城県古河市出身
野球解説者、野球指導者

経歴
常総学院高等学校、早稲田大学、日本生命、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ、 ランカスター・バーンストーマーズ

主なタイトル歴
新人王(1996年)
ゴールデングラブ賞4回(1999年~2002年)

仁志敏久ホームベースクラブ Facebookページ

 

山本慎二郎
1979年9月14日 宮崎県宮崎市出身
株式会社スポリティー 代表取締役

職歴
株式会社シンソフィア
楽天株式会社
アマゾンジャパン
株式会社オズビジョン
インクルージョン・ジャパン株式会社
株式会社スポリティー

スポリティー会社情報
山本慎二郎 Facebookページ

 

 

 

仁志敏久
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